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プロヴァンス

プロヴァンス (la Provence) は、フランス南東部の地域である。

「プロヴァンス」の名称は、ローマ帝国の属州(プロウィンキア、Provincia)であったことにちなみ、プロヴァンス語で Provènço や Provença などとも呼ぶ。

地域の区分としては、ローヌ川の左岸(東岸)とヴァール川の右岸とデュランス川の南側で区切られた一帯であり、現在の地域圏でいえばプロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏の大部分に当たる。文化的、歴史的にはこの地域圏に含まれる各県のほか、アルデシュ県とドローム県の各南部、およびガール県の東部もプロヴァンス的であるといえる。

15世紀末までは神聖ローマ帝国治下の独立国プロヴァンス伯爵領があったが、フランス王国に併合された。フランス革命まではプロヴァンス州であった。プロヴァンスの名は現在でも特に観光上の観点から親しまれている。

地中海の恩恵を強く受ける地域である。夏は暑く乾燥している。冬は、沿岸部では穏やかであり、東部は湿潤である。ただし北部では厳しい。アルプスからの北風ミストラルが吹くと気温が落ちて乾燥し、サハラ砂漠からの熱風シロッコが吹くと蒸し暑くなる。

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歴史
12世紀、プロヴァンス女伯ドルサはバルセロナ伯ラモン・バランゲー3世と結婚し、以後プロヴァンスは後にアラゴン王家となるバルセロナ家の分家によって治められる。バルセロナ伯レーモン・ベランジェ4世の4人の娘はフランス王家とイングランド王家に嫁ぐが、プロヴァンスはシチリア王、ナポリ王となるフランス王子シャルル・ダンジューに嫁いだ末娘ベアトリスが相続し、以後ナポリ王家となるカペー家支流のアンジュー=シチリア家によって治められる。

1382年、ナポリ女王ジョヴァンナ1世が暗殺され、その養子となったヴァロワ=アンジュー家(ヴァロワ家支流)のアンジュー公ルイ1世がプロヴァンス伯となった。その孫で文芸に理解のあったルネ・ダンジューの下にプロヴァンスは栄えたが、この家系も1491年に断絶し、1498年にはフランス王領に併合された。
中世(11世紀 - 13世紀)にはトルバドゥールが活躍した。

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2009年04月23日 14:10に投稿されたエントリーのページです。

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